本文へスキップ
シリーズ: Formosa Table

食の歴史

台南の食はどうして今の形になったのか

台南の始まりは、シラヤ族の集落と、1624年に置かれたオランダの交易拠点でした。やがて鄭氏政権、続いて清のもとで台湾の政治の中心となり、その役割を1880年代まで担います。20世紀初めには日本が町の中心部を造り替えました。それぞれの時代の砦や廟、城門、街屋は、今も人々が食事をする通りのあいだに残っています。

サバヒーと養殖池

サバヒーの養殖は、17世紀にオランダ人がインドネシアから台湾に持ち込んだと考えられていますが、記録は多くありません。中国語名の「虱目魚(シームーユー)」を鄭成功と結びつける俗説があり、今も「国姓魚」と呼ばれることがあります。台南のサバヒー養殖は台湾一の規模で、約4,980ヘクタールの池から年に約24,000トンが水揚げされます。主な産地は七股、安南、北門、学甲、将軍。台南では、焼いた腹身やおかゆ、つみれとして朝ごはんの食卓に並びます。

料理: サバヒー · 台南式おかゆ · サバヒーのつみれスープ · サバヒーの皮スープ

味わえる店: A Xing Shi Mu Yu · A Hsing Congee · Yung Chi Milkfish Balls · Wang Shih Fish Skin Dishes · Kaiyuan Road No Name Milkfish · Yung Tung Milkfish · Chang Ying Seafood House

砂糖と甘い味つけ

オランダ統治下の台湾で最大の輸出品は砂糖でした。1658年の生産量は173万斤で、その大半がペルシャと日本へ運ばれています。サトウキビを育てたのは、オランダ東インド会社が耕作のために呼び寄せた漢人の入植者でした。砂糖がもたらした富は、砦だけでなく町も築きます。塩水の八角楼は、この交易で財をなした葉家のために1841年に完成した邸宅です。1946年には、大日本製糖、明治製糖、塩水港製糖をはじめとする日本統治時代の大手製糖会社が統合され、台湾糖業公司(台糖)となりました。台湾料理についてのある調査は、この島の料理に砂糖がふんだんに使われる理由を、長く続いた商業的な製糖業に求めています。

料理: 昔ながらの紅茶 · 台湾かき氷

味わえる店: Shuang Chuan Black Tea · Chiang Shui Hao · Yuan Zai Hui (Guohua Street) · Long Quan Ice Shop (Madou)

ゆかりの場所: 八角楼

タンツーメンと「小月」

タンツーメンの始まりは1895年ごろとされます。台南の漁師・洪芋頭が、台風の季節で海に出るのが危ない閑散期、いわゆる「小月」をしのぐために麺を売り始めたのがきっかけでした。はじめは天秤棒、つまり料理名の由来になった「擔仔」で屋台を担いで売り歩き、のちに五条港の商人たちの廟、水仙宮の前に店を構えます。提灯に記した「度小月」は「閑散期を乗り切る」という意味で、今も度小月の各店がこの名を掲げています。一杯は小ぶりで、エビの出汁に麺を入れ、エビ、豚そぼろ、香菜、にんにくをのせます。

料理: タンツーメン

味わえる店: Du Hsiao Yueh Danzai Noodles (Original Store) · Small Park Danzai Noodles · Traditional Tainan Feast (Anping)

ゆかりの場所: 神農街

廟の宴と宴席料理

その場で料理を作ってふるまう宴は「辦桌(バンドー)」と呼ばれ、台湾では結婚式や葬儀、廟の祭りのたびに開かれます。料理人たちは廟前の広場や道端のテントにコンロを据えて腕をふるいます。この習慣は福建や広州からの移民とともに伝わりました。清代末期には名家が客間での宴のために料理人を雇い、日本統治時代になると料理店が村の宴の仕出しを手がけるようになります。台南の老舗の台湾料理店は、そのレパートリーを今もメニューに残しています。阿美飯店は60年以上にわたって宴席の定番料理を作り続け、欣欣餐廳では、阿霞飯店で6年修業した料理人の阿塗師(Ah-Tu)が、今も家伝のカニ団子を手作りしています。大天后宮のそばの添厚が出すスルメとツブ貝のスープは、ミシュランガイドによれば、今では市内でも珍しくなった宴席料理です。

味わえる店: Amei · Hsin Hsin Restaurant (A-Tu Shi) · Eat to Fat · Zhu Xin Ju · Traditional Tainan Feast (Anping)

ゆかりの場所: 大天后宮

サカリバとグァンツァイバン

「サカリバ」は日本語の「盛場(さかりば)」、つまりにぎやかな盛り場のこと。日本統治時代には台南中心部の小吃街の名前で、現在の康楽市場にあたります。1935年、許六一はここに屋台を開き、和・洋・台湾の軽食を売りました。戦後、鶏レバーやイカ、野菜を詰めた揚げパンの箱を考案。ふたをかぶせた姿が棺桶のようだと友人にからかわれると、それをそのまま名前にしました。1959年、「棺材板」の名が看板に掲げられます。名付け親は店を訪れた大学教授だったという説もあります。

料理: グァンツァイバン(通称「棺桶パン」)

味わえる店: Chikan Coffin Bread

日本から来た味、エビごはんとおでん

日本統治時代には、和食や洋食、さらに弁当や味噌汁が台湾に伝わりました。「矮仔成」のあだ名で呼ばれた葉成は、日本料理店の明月楼(Mingyuelou)で修業し、1922年に西門市場でエビごはんを売り始めます。日本人の好みに合わせて工夫を重ねた味で、今も店では味噌汁を添えて出しています。おでんも同じように伝わりました。台湾語では「オーレン」と呼ばれ、中国語では「黑輪」と書かれるようになり、豚肉団子や豚の血のもちなど、台湾ならではの具も加わります。1932年に開業した林百貨も同じ時代の建物で、今は再びカフェや展望デッキを備えています。

料理: 台南のエビごはん · 台湾おでん

味わえる店: Ai Zai Cheng Shrimp Rice · Ji Pin Shrimp Rice · Pao Ko Oden

ゆかりの場所: 林百貨(ハヤシ百貨店)

潟湖沿いの塩田

この海岸では338年にわたって海水から塩が作られてきましたが、2002年5月に七股塩田が生産を終え、その歴史に幕が下りました。北門の井仔脚は、1818年に塩民が開き、1952年にタイル敷きの塩田に造り替えられた、現存する最古の瓦盤塩田です。今も塩をかき寄せ、集める作業を見学できます。七股、北門から学甲、将軍へと続くこの海岸は、いまや台南のサバヒー養殖の中心地です。

料理: 牡蠣のかき揚げ · サバヒー

味わえる店: Black-faced Spoonbill Canteen · Chang Ying Seafood House · Hsiu Li Oyster Fritters

ゆかりの場所: 井仔脚瓦盤塩田 · 七股塩山 · 南鯤鯓代天府

台南のくわしい歴史は、Formosa Tableの読みもので紹介しています。

読みものへ →
出典 (24)